個人財産と人間の権利
聖書の十戒には、盗んではいけないという神様からの命令がある。。盗むなということは、逆に考えると、個人に所有権があり、他の人は勝手に持ち出してはならないということである。
三位の神様は、人間に対して、きちんと自分の持ち物は自分で管理しなさい、所有しなさいと言っている。1人の人間の財産、そして家族の財産はきちんとその人が所有できる権利がある、それは聖書から来ている概念である。
世界を支配しているイエスの命令であり、いかなる理由を述べているとしても、創造者が定めた所有権を蔑ろにすることは、盗みを働いていることになる。
人々が働いて得たお金を所有する権利は、働いた人にある。宗教改革では、ジャンカルヴァンが明確にした。彼が生み出した考えではなく、聖書に則っていただけである。その結果、ヨーロッパでは個人の蓄財が奨励され、資本主義が発展していった。
その弊害で、社会主義が生まれたということになっていますが、それは正しくない。誰もがチャンスを得る機会がある真っ当な社会では、資本主義が発展していくのであり、社会主義の出る場所はない。
社会主義、そしてその究極の完成形である共産主義とは、個人の所有は認められていない。そのような社会においては、金持ちは悪いこと、資産家に対しては、合法的に強奪が許されていた。みんなが平等というのは偽りであり、結局は貧困の平等化が実現するだけのことである。一部のエリートが全ての強奪した物を使っているということで、そんな社会は神様が意図した社会ではなく、神の法に反逆した社会である。個人であれ、その社会の権力であれ、個人の所有を脅かしており、盗みを犯している。合法だから、非合法だからとは関係はない。天と地を支配しておられるイエスの命令は絶対的権威であり、盗みは他の罪と同じく、許されるものではない。そのような社会は、早かれ遅かれ立ち行かなくなるだろう。
本当に社会が発展する方法とは、神様の法を守ること、他人の物は盗まないという基本が、発展の基本である。
主の栄光がこの大地にありますように