マルチバースとは?
マルチバースがハリウッド映画で流行った。
マーベル映画では、スパイダーマンノーウェイホーム、ドクター・ストレンジ マルチバースオブマッドネスがあり、DC映画では、ザ フラッシュ といった形で、さまざまなマルチバースに関連した映画が作られている。
マルチバースとは、さまざまな世界が並行して存在している世界のことだが、そのような世界においては、複数の法律が存在しており、これが唯一であるというものはない。
聖書では、三位の神様がおり、この世界は神様が作られた一つの法体系によって運営されている。神様の法は昔から今まで変わることがなく、いつも同じである。私はアルファであり、オメガであるとは、神様が変わらず普遍的であることをさしている。なので、この世界のことをユニバースと言う。Universe のUniとは、単一であるということ。神様が統治されている世界は、一つの原則に従っている。
教育で言うと、Universityとは、Universeからきており、一つの原則に従って教育を行うので、Universityと呼ばれてきた。その一つの原則とは、神様の法体系にある。神様は三位であり、統一されており、この世界は聖書を軸に回っている、そこから教育が始められた。
アメリカの著名な大学であるハーバード大学、イェール大学、プリンストン大学などは全て、聖書を学ぶ神学校として設立されたことから歴史が始まっている。神学校を中心に、そのほかの学問も設立されてきた。神様の言葉が中心にある、なので大学がユニバーシティという。
しかし、現代の多くの大学は、聖書を中心とした体系で学問が行われているわけではない。この世界を創造した神様の書物である聖書から学問を行わないのであれば、それはほかの法体系に従っていることになり、単一の法体系と言えるUniversityとは言えず、Multiversityの形と言うことになる。
さまざまな世界観で学問が行われているため、聖書主義に立たない全ての大学は、Multiversityとなっていると言える。神学校から出発したハーバード大学などは、すでに神学を中心とはしておらず、Multiversity へ変化したことになる。日本の大学は、神学校から始まっているわけではないので、英語では全ての大学がUniversityと名乗っていますが、厳密には、Universityとは言えない。
すでに教育界では、マルチバースが当たり前の世界だったが、最近ハリウッドでも盛んに宣伝がなされるようになってきたというのが、現状だ。
聖書の法体系で動く社会は、ユニバースであり、単一の法体系に従う。そこには、善悪の区別がきちんとなされある。しかし、マルチバースとなると、さまざまな法体系が乱立する世界であり、そこには正義の形も複数あるということになる。
男女の結婚が普通であったユニバースの体系に対し、LGBTQの結婚もありとするマルチバースの世界、今までの善悪は、マルチバースの世界では通用しなくなり、各人がそれぞれの善悪を作り上げていき、誰もそれに異議を唱えることはできない。
ハリウッドがなぜマルチバースを押し勧めるか、それにはこの世界はさまざまな価値観があって、自由に生きていいんだという考えを広めたいからだろうが、これには社会を混沌化させる意図が含まれているのではないか?
聖書の価値観では、神様の法のみが、正義を表すことができる唯一の基準であり、イエスが言われたように、法は決して廃棄されることはない。この世界を動かす上で一番重要な基準である。白黒つけている世界を、全て灰色の世界にしてしまおうとするのが、マルチバースの世界観であり、ハリウッドは子供たちである次世代に対して、新たな価値観を植え付けている。
この世界は、マルチバースではない。神様が作られたユニバースのみである。いろんな考えがある混沌とした世界がいいのか、それとも、公正正義な世界がいいのか?聖書をもとに運営する社会は、公正正義な世界を実現することができる。
主の栄光がこの大地にありますように